【公式】明智光秀生誕の地 ・岐阜県可児市|「麒麟がくる」|大河ドラマ館

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明智光秀のこんなエピソード知っていますか?

本能寺の変があまりにも有名だったため、その人物像までほとんど光が当てられてきませんでした。ところが最近になって、軍事や政治、茶の湯や連歌にも精通する文武両道の人物であることはもちろん妻や、部下想いの魅力あふれる人物だったことがわかってきました。
たくさん残された逸話の中で、光秀の性格や周囲の人との関係がよくわかる4つのエピソードをご紹介します。

明智光秀エピソード - 1 鉄砲名人光秀が、越前の朝倉義景の前で鉄砲の腕前を披露した時のことです。計100発の弾丸を放ったところ、45メートル先にある30センチ四方の的に計100発の弾丸を放ったところ、中心に68発、残りの32発も的に当てたそうです。まさに百発百中の腕前!当時の鉄砲の精度を踏まえると信じられないような逸話ですが、その一方で最新兵器だった鉄砲に、かなり早くから着目していたようです。

明智光秀エピソード - 2 野心のかたまりある時、大黒天の木像を拾った光秀。朝と夕方に毎日拝んでいると、それを見たある人が「これはめでたい。これを拝めば、そのうち1000人の家臣を得られるに違いない!」と感嘆したそうです。しかし光秀は「たったの1000人か……」と、かえってがっかりしたのだとか。
「1000人の家臣なら、凡人でも持てるものだ。出世を願って、拝むほどではない。」と言い放ち、すぐに大黒天を捨ててしまいました。この当時は各地を巡っている最中だったため、拾った仏像をありがたがるほど貧しかったようですが、その程度の身分では満足しない野望を秘めていたようです。

明智光秀エピソード - 3 妻の内助の功光秀が貧しかった時、妻が美しい黒髪を売って、客を迎える費用を工面したという江戸時代によく知られた話があります。
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」とは、門弟夫婦から心温かいもてなしを受けた際に詠んだ松尾芭蕉の句。「冴え冴えとした月あかりのもとで、その光のように優しく光秀を照らした妻について、さあ語ろうか」と解釈することもできるこの俳句からは、控えめながらも強い芯を内に秘めた凛々しい光秀の妻の人物像が浮かびあがってきます。

明智光秀エピソード - 4 信頼できる家臣光秀は、本能寺の変直前に最も信頼する4人の家臣にその決意を打ち明けたそうです。それが、明智秀満・明智光忠・藤田伝五・斎藤利三の4人。そのうち明智秀満・光忠は、光秀の”いとこ”なのだとか。ちなみに藤田姓は「美濃国諸旧記」の明智城落城時の家臣にも見受けられるため、親子で明智家に仕えていたのかもしれません。
複数の史料を読み解いてみると、「可児」姓の家臣が光秀に仕えていたことが明らかとなりました。かなりめずらしい名字である上に、その出自はほぼ可児郡に限定されています。この事実こそが、光秀と可児の深い関わりの裏付けとなっています。

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